トップページ > コラム・ミニ知識 > 日本語教師こぼれ話 > 2020年
私にとって日本語は母語なので、日本語が学習者にはどのように聞こえ、 どの程度理解できているのかを正確に実感することは難しいことです。それが日本語教師を始めたころから悩みの種でした。
今、心掛けているのは、「これが英語だったらどうだろう?」「私はこれを理解できる?」「使える?」といった英語学習者としての目線で、 想像力を働かせることです。そうすると、「これは知っているけど使いこなすのは難しい。」「じゃあ、授業で練習する価値がありそう!」 などと授業のイメージが湧いてきます。私自身が外国語学習で苦労した経験は、直接法で教える上でとても役に立っています。
教師になったばかりの頃は、テンポの良い授業がしたいという教師目線の気持ちに囚われ、 強引に授業を進めてしまうことがよくありました。「学習者目線が大切だ」ということは当たり前のことですが、頭でわかっているのと、 自分で経験して気づくのでは全く違います。そのことが実感できてから、私の教え方も変わってきているような気がします。(本田)
私は大学院進学コースで、日本語を教えている。そのため大学院進学指導も行う。研究計画書の添削をしたり、時には一緒に研究内容を考えたりすることもある。
学習者は海外で大学を卒業して来日している。志望する専攻は多岐にわたり、専門分野についての知識も深い。学習者から研究計画書の添削を依頼された。専門は法律。 私は法律のことを知らない。では、そのような中で研究計画書をどのように添削すればいいのか。
まずは、その学習者の志望校と行きたい研究室を調べ、教授の専門を見てみる。専門の内容はさっぱりわからないながらも、キーワードは拾える。 そこで、学生の研究計画書を見てみる。研究内容は、概ね研究室に合っていて、その教授のもとでちゃんと研究できそうだ。しかし、ここまで来て、文章の違和感を見つける。
「これでいいんだろうか。たしかに専門知識は十分だ。内容も詳しい、教授の研究内容も理解している。でも、なんでかな、話が入ってこない。」
ここに私達日本語教師の出番がある。私達にできることは、「なんだか変だ」、「きっと考えていることはあるんだろうけど、これじゃあ伝わりにくい」 という日本語話者として抱く感覚を、言語化して伝えることだ。
細かく言えば、一つ一つの文の構造、文と文とのつながり、大きく言えば、段落の構成、段落と段落とのつながり、もっと大きく言えば根拠から結論までの流れ。わかりやすい文章にはわかりやすい理由がある。私は次のように添削に臨んでいる。
①論理的でわかりやすい文章の特徴を理解し、教科書等の文章を読んで分析する力を身に付ける。
②①に基づいて学習者の研究計画書を分析する。必要に応じて、本人に書きたかった意図を確認する。
③修正点とその理由を言語化し、学習者にわかりやすく伝える。
日本語教師としての研究計画書指導の極意は、ここにあると思う。 (清水)
学生が苦手だと感じることの一つが、日本人との電話だという。日本語能力試験最上級レベルのN1に合格した人でも、日本人との電話はできればしたくないそうだ。電話だと相手の表情が見えず、コミュニケーションがとりにくいからだという。
先日、ある学生から、入学手続きについて大学に電話で問い合わせたいのだが、代わりに電話してくれないかと頼まれた。私はその依頼を引き受けようか迷った末、学生自身に電話させることにした。
というのも、学生は日本語学校を卒業して社会に出たら、自力で様々なタスクをこなさなければならないからだ。困った時に誰かに助けてもらえるとは限らない。
その学生は自分で電話するように促されて、不安な表情を浮かべた。そこで、私は電話をかける前にシミュレーションを行い、この通り進めれば大丈夫だと励まし、万一の時は電話を代わってあげると約束した。
いよいよ本番。学生は「発信」ボタンを押し、相手が電話に出るのを待ち、私はそばで様子を見守った。話はシミュレーション通りに進み、私が代わることなく終わった。
学生は無事に電話での問い合わせができて安心した様子だった。「先生が隣にいてくれたから、落ち着いて話すことができた」という言葉を聞き、私はこの小さな成功体験が自信につながればと願った。
学生が小さな成功体験を積み重ね、自信をもって日本で暮らしていけるように、私は今後も様々な工夫をして学生に接していこうと思う。
(濱口)
コロナウイルス蔓延の影響で、千駄ヶ谷日本語学校の入学が決まっているものの日本に入国できない新入生のために、海外オンラインクラスを開講しています。私は10か月間、そのひとつのクラスの担任をしていました。
入国制限が緩和され、先日、とうとう、そのクラスの学生たちが入国してきました。最初に入国した学生の通学初日のことです。私は他の先生方と一緒に、その学生の授業が終わる時間に合わせて、校舎の玄関で彼に挨拶をしようと待っていました。エレベーターから降りてきた学生は私の想像よりずっと背が高くて驚きました。その学生はちょっと緊張した様子で私たちと話をしてくれました。本当は、学生の方から教務室に出向いて私たちにサプライズをしたかったそうです。私たちが歓迎の気持ちを表したかったように、この学生も学校に通える嬉しさを表したかったのかもしれません。
10か月間のオンライン授業を通して対面クラスの学生と同様に親しみを覚えた学生たちが、今、待ちに待った来日の夢を叶えています。学生たちがこれから更なる夢を叶えるため、私たちの仕事が一助になれば幸いです。(中田)
日本語の授業では、学習者が新しく学んだ言葉を理解しているか、同じ母語同士の学習者や教師が確認するために、母語で何というか聞くことがあります。
例えば、「‘ありがとう’は〇〇語ではどう言いますか」といった感じです。単純に私の好奇心から聞くこともあります。
ある日、私は四川料理の麻婆豆腐について中国の学生に質問しました。
私 「麻婆豆腐、麻婆春雨、麻婆ナス、他に、麻婆○○はありますか。」
学習者「マーボーマン!」
と力強く答えました。
私と中国語圏以外の学習者の頭の中には、「スーパーマン」が浮かびました。
私はジェスチャーでスーパーマンのポーズ(片手を上にあげて、片手を腰にあてるポーズ)を取って、「こういう感じ?」と聞いてみると、中国の学生が数人で相談して、
「饅頭の‘マン’です」と答えました。そこで私は、なぜスーパーマンと誤解したのか考えました。
学習者が発音した「マーボーマン」は「マン」が下がっていたために「スーパーマン」を思い描いたのでした。
学習者が「饅頭の‘マン’です」と説明したことで、「なるほど!中華まんの具が麻婆なんだ!」と理解できました。
頭の中がすっかり「スーパーマン」だった私と中国語圏以外の学習者は爆笑しながら納得しました。
このように、発音の違いで誤解が生じることもあるため、日頃からの発音指導が大切なんだと改めて思いました。 (倉本)
“How are you?”と言われたら、みなさんは何と答えますか。
あるアンケートによると、日本人の多くが“I’m fine. Thank you.And you?”と答えるそうです。
しかし、英語母語話者にとって、この表現はビジネス場面では使っても、日常会話で使うと不自然に感じるそうです。
中学生のころ “I’m fine. Thank you! And you?”とクラスメートと一緒に笑顔で答えていた自分を思い出します(涙)。
このような「何か不自然……。」と思うことは日本語教師にとって大切なことです。
「あげます・もらいます・くれます」を学んだばかりの初級の学生が、休み明けの授業で「先生にお土産を買ってあげました!」と笑顔で言ってくることがあります。
まさに「何か不自然」です。その時、私たち教師は「不自然」と感じる理由を考えます。そして、「友達に言うときは、『お土産、あげる!』でいいです。
でも、目上の人には「あげます」は使いません。先生には『どうぞ。』がいいですね。」とそっと直し、もう一度正しく言うよう促します。
私たち日本語母語話者は、無意識に日本語を話しているようで、実は、言葉を発するまでに頭の中で様々な表現の中から、相手や状況に合わせて言葉を選んでいます。
その中には、今回のように「目上の人にこの表現が使えるか」も含まれます。
日本語学校は、今後、進学先で先生と、アルバイト先で上司、先輩、お客さんと話すであろう学生が、その状況に合わせて会話ができるように練習をする場でもあるのです。(吉川)
日本語学校では6か月に1回、クラス替えがあります。新しいクラスになり1か月も経つと、学生の恋愛事情が見えてきます。
「あの学生とこの学生が恋人同士なのね。」「あれ?この2人いい雰囲気じゃない?」といった感じです。
相乗効果でお互い成績がアップしていくペアに安心する一方、「恋愛>学業」で出席率が悪くなってしまうペアにハラハラすることもあります。
ある日のことです。口下手な男子学生が意を決したように「先生、今度の席は〇〇さんの隣の席にしてください。もっと話がしたいです。」とお願いしてきました。こんな時は応援したくなります。
こんなこともありました。中間テストに『「たとえ~も・とはいえ・~おかげで/~せいで」の接続詞を使って6行以上の作文を作りなさい』という問題がありました。ある学生は、この3つの接続詞を使って別れ話を答案に書きました。
採点のために文章を読んでいる時は、恋人と別れたばかりの話がリアルに伝わり、とても切ない気持ちになりました。
学生たちは只今青春真っただ中!!学校ではそんな学生たちの青春の1ページが垣間見られ、いつも微笑ましい気持ちでいます。これも教師にしか味わえない光景だと思います。(山崎)
皆さんは「読解の授業を担当してください」と言われたらどんな授業をしますか。
決められた内容を読んで、問題を解いて、内容を確認して、最後に音読する……。当初の私だったらこのような読解の授業しか思い浮かばなかったと思います。
ですが、教師経験を重ね、学生が学校に来て他の学生と勉強することにどんな意味があるかを考え始めた頃から、読解の授業を様々な方法で行うようになりました。
例えば、読む内容を二つに分け、グループごとにそれぞれの内容を読ませ、最後にどんな内容だったか話し合う方法や、内容を読んだ後に自分で問題を作って他の学生に解いてもらう方法など……目的によってさまざまな読解の授業を行うことができます。
上記のような方法で授業を行うことで、学生同士の発話が増え、お互いの考えに自然と触れることができます。
最近は、YouTubeをはじめ、たくさんのツールでどこでも日本語が勉強できるようになりました。そのような中で、学生が学校に来て、他の学生と勉強できる環境を最大限にいかせる授業を行っていくことは、今の日本語教師に必要な力なのではないかと日々実感しています。(掃部)
皆さんは「読解の授業を担当してください」と言われたらどんな授業をしますか。
決められた内容を読んで、問題を解いて、内容を確認して、最後に音読する……。当初の私だったらこのような読解の授業しか思い浮かばなかったと思います。
ですが、教師経験を重ね、学生が学校に来て他の学生と勉強することにどんな意味があるかを考え始めた頃から、読解の授業を様々な方法で行うようになりました。
例えば、読む内容を二つに分け、グループごとにそれぞれの内容を読ませ、最後にどんな内容だったか話し合う方法や、内容を読んだ後に自分で問題を作って他の学生に解いてもらう方法など……目的によってさまざまな読解の授業を行うことができます。
上記のような方法で授業を行うことで、学生同士の発話が増え、お互いの考えに自然と触れることができます。
最近は、YouTubeをはじめ、たくさんのツールでどこでも日本語が勉強できるようになりました。そのような中で、学生が学校に来て、他の学生と勉強できる環境を最大限にいかせる授業を行っていくことは、今の日本語教師に必要な力なのではないかと日々実感しています。(掃部)
学生:太った先生いますか
学生が職員室に先生を探しに来ました。職員室にいた先生の一人が、慌てて学生に駆け寄り、「その言い方は失礼ですよ」と注意をし、探している先生について他の特徴を聞いています。
先生:メガネはかけていますか?背は高いですか?
学生:わかりません。太った先生です。
先生:????
学生:会ったことがありません。太った先生です。名前です。
先生:会ったことがないのに、太っていることを知っているの?
学生:先生の名前が「太った」です。太った先生です。
対応した先生が「ふ」が付く先生や発音が似ている先生を挙げましたが、どれも違います。なかなか伝わらないからか、学生が学校から来たメールをその先生に見せました。
先生:あ!!!!!!太田先生か!!!
その学生は「太田」を訓読みで「ふとた」と読んでいたのでした。
「太」という漢字は「太(ふと)い」「太(た)郎」と読むのが一般的です。この学生は一般的な読み方は知っていましたが、名前や地名で「おお」と読むことは知らなかったのでした。
学生たちにとって、日本人の名前や地名に使われている漢字の読み方は難しいようです。
漢字を教えるときは「少しでも生活の中で読める漢字が増えるように」と、教科書に書かれている読み方だけではなく、先生の名前や身近な地名も併せて紹介するようにしています。(太田)
「先生、その人はどうして掃除をしているんですか?」
授業中、旅行者の会話の場面を提示しようとスーツケースを持っている人の絵を描いたら、学生に真顔でこう質問されてしまいました。
私の画力はこの程度なので、必要なイラストや写真を準備していったり、スマホで見せたりして、絵を描くことは極力避けています。しかし、「これぐらいなら描ける」と思い、絵を描いて説明しようとすると画力がバレてしまいます。
でも、役に立つこともあるんです。
あるにぎやかなクラスでのこと。集中力が切れてしまうと、ワイワイ、ガヤガヤ…。なかなか静かになりません。そんな時、ふとホワイトボードに絵を描き始めたら、だんだん静かになり、ジーッと私が絵を描いているところを見ています。
私 :ここは、どこですか?
学生:...。
私 :コンビニですね?
学生:あぁ!
私の絵が何を表しているのか、学生は必死に考えてくれているのか、その後は集中したまま授業が続けられました。
これはいい方法だと思い、今でも学生の集中力が切れると、ときどき絵を描いています。時には期待の眼差しで、時には心配そうな目で、静かにジッと見つめてくれることが多いです。
画力のなさは授業には役立たないと思っていましたが、苦手なことも使い方によっては役に立つようです。(小山)
以前、授業で「メールの書き方」を取り上げました。その日は、一般的なメールの構成やメールで使える日本語の表現などを教えたあと、実際に学生達に、志望する大学の「志望理由書のチェック」や「面接練習」を依頼するメールを書かせました。より実用的な内容だったからか、 テスト中かと思うほど、全員集中して取り組んでいました。授業後、完成したメールを私宛に送らせたのですが、 届いたメールをチェックしていると、ある学生からこんなメールが届きました。
「〇〇先生
○○クラスの××です。
いつもご指導をいただきありがとうございます。
○月×日に、○○大学××学部△△学科の面接があります。
お忙しいところ申し訳ございませんが、ご都合の良いときに
面接の練習をしていただけないでしょうか。」
この学生は〇〇大学を目指しているのか。よしよし、教えたこともちゃんと伝わっているな、などと考えながら読み進めていると、
「もう一つお願いがあるんですが、お時間があれば、面接練習のとき
ファミチキを一個買って来ていただけませんか。」
との一文が。なぜ私がファミチキを買わなければいけないのか、と思わず笑ってしまいました。(後で学生に聞いたところ、もちろん冗談とのことでした。)
真剣にやってよ!と一瞬は思いましたが、冗談を含め、学生が自分の言いたいことを自然な日本語で言えるようになっているのだな、と成長を感じられるのは教師として嬉しいと思いました。(池谷)
日本語初級では、動詞の変形をたくさん勉強します。その最後にして最難関が「使役形」です。すでに勉強した「受身形」と混同してしまい、こんな珍回答があります。
お母さんが子供に野菜を食べるように指示している絵を見て、「お母さんは野菜に食べられ
ました。」この野菜はモンスターでしょうか。
また、「使役形」が使えていても、助詞を間違えてしまうと、やはり、野菜はモンスターになります。「お母さんは、子どもを野菜に食べさせました。」
さらに、「敬語」表現を加えて、丁寧にお願いしようとすると、もう大変です。
中級以上のクラスでも、次のような会話が授業中に行われます。
学生「先生、トイレ……」
先生「トイレ?トイレがどうしましたか?」
学生「先生、トイレへ行っていただけませんか。」
先生「私はトイレへ行きたくないんだけどなあ。」
クラスから笑いが起きればOK。2つの文を板書して、どちらが「する人」なのか確認します。
さて、先日、あるベトナムレストランでのことです。日本語を流暢に使って接客している店員さんがテーブルに来て、「空いた食器を下げていただけませんか。」と言って食器を下げていきました。ああ、惜しい!残念! 正しい言い方を教えてあげたい。
日本語教師は、このような場面でいつも教えたくてうずうずしてしまいます。 (古谷)
お電話でのお問い合わせ先
高田馬場校 TEL:03-6265-9570Copyright(c) Sendagaya Japanese Institute. All rights reserved.